1902年(明治35年)9月13日
広島市南区稲荷町で、父友吉、母シゲの長男として出生。本名・幹夫
1920年(大正9年)17歳
旧制広島県立広島第一中学校卒業
1921年(大正10年)8月
山崎弁栄上人高弟藤本浄本上人指導により念仏一行三昧発得
1923年(大正12年)20歳
旧制松山高等学校文科乙類を首席で卒業 旧制東京帝国大学文学部入学
1926年(大正15年)23歳
同大学文学部哲学科を首席で卒業 駒込大観音、光源寺に下宿、一日4時間の念仏行。
一年間志願兵として軍務に服す。
1927年(昭和2年)24歳 旧制山形孝行高校(現・山形大学)3年教授
1929年(昭和4年)26歳 旧制広島文理科大学(現・広島大学)
1929年より2年6か月ドイツ、フランス留学1931年8月アメリカ経由で帰国
1937年(昭和12年)34歳 4月3日中目アキと結婚(大阪外語大学初代学長の息女)
1945年(昭和20年)43歳 9月広島で被爆 9月知恩院にて得度
1947年(昭和22年)44歳 島根県雲南市加茂町大崎の隆法寺に晋山
1953年(昭和28年)50歳 京都府木津川市山城町上狛 法蓮寺に晋山
1966年(昭和41年)63歳 広島大学教授を定年退官 名誉教授
1974年(昭和49年)72歳 財団法人光明修養会上首に就任 『念仏の哲学』
1984年(昭和59年)81歳 ドキュメンタリー映画「無二的人間ー空外書道の世界ー」完成
浄土宗正司教 知恩院長老
1985年(昭和60年)82歳 山梨県立美術館「山本空外墨跡展」講演会、映画上映
1989年(平成元年)10月15日 87歳 財団法人空外記念館開館
千年建築 設計監理・青柳泉、施工・竹中工務店
『新建築』1990,2月号
看板製作 多和圭三(多摩美術大学彫刻科教授)
『無二的人間形成 空外記念館 蔵品一』刊行 川本剛空・青柳空泉監修
2001年(平成13年)8月7日 京都法蓮寺にて遷化 保寿百歳
2018年(平成30年)3月30日~4月1日 東京大学仏教青年会開館 山本空外上人奉賛会
17回忌追善供養、東大佛青回帰展
記念講演 矢野司空、衛藤吉則。最終日、呈茶。空外庵、青柳空泉